地域コミュニティの格差

ーー地域コミュニティの差に唖然

 

ふと思ったことがあります。

私が以前住んでいた神奈川県中区の中華街周りでは、多くの人が賑わう繁華街、交通量の多さもあってか、とても活気的でした。

中華街では長蛇の列を組む人々や、それに伴う話し声、都会の喧騒など、活気さで言えば私が住む鎌倉市をはるかに上回ります。

 

しかし僕は何かを見落としている。

いくらガヤガヤして賑やかだったところで、その地域特有のコミュニティの豊かさ、人々の横のつながりなどはほぼ希薄。

私が住んでいたマンションでも住居人とすれ違うたびに挨拶をしますが、相手は挨拶を無視することが多いです。

いや、多いというか、それがほぼ当たり前でした。

 

びっくりしたのは子連れの母親。

エレベーターに一緒に乗る際、軽く会釈してもうんともすんとも言わずに親子揃って無言を貫き、その場を去る。

全くそれらしい仕草、反応を見せてくれません。

これにはびっくり博覧会。

地域コミュニティの差が、都会と田舎とでこんな顕著に出るなんて!

 

僕が住んでいた中区地域は多くの人々で賑わう活気的な場所でした。

夜はイルミネーションの明かりが煌々と光り輝く。

昼間は工事現場で働く人たちの掛け声などが聞こえる。

道路を走る車のアクセル音が四六時中絶えない。

常に視覚情報、あるいは聴覚情報から入るものが僕の目の前を覆っていました。

 

しかし、それでもストンと腑に落ちないモヤモヤさがあったのはなぜだろう。

それが今、僕が住む地域コミュニティとの格差を目の当たりにして、ようやく気づいたんです。

いくら都会で活気ある街だろうが、その地域に根ざした「みんなで力を合わせて頑張ろう。」という助け合いの精神などはほぼ皆無。

見返りを必要としない地域コミュニティの豊かさ、助け合い、街おこし、地産地消活動…。

これらのワードが都会に行くとすぐに打ち壊される。

なかったことにされる。

 

ーー過剰な地域コミュニティもよくない

 

いや、別に地域コミュニティも過剰になりすぎるのは良くないと思ってますがね。

ただ挨拶も交わさない、そんな希薄な関係性の中で生活するのは息が詰まるというかなんていうか…。

人間同士のリアルな声も聞こえない、それぞれが独立した個として動くのは、1匹で活動する野生の動物と同じだって。

 

有史以降の出来事を思い返す日本人なんて今となってはほぼ皆無でしょう。

昔の日本はむしろ「周りを思って行動する。」ことが当たり前だった時代。

まして挨拶も交わさない関係性など到底あり得ません。

ここまでくると過剰反応みたいに言われそうですが、あくまで地域コミュニティの差が田舎と都会でこんなにも差が出るとは…という21歳男性にとっての素朴な疑問ですから、あまり気にしないでください。

地域で消費して地域経済を高める。

これは地産地消行為ですが、それが果たして良いのかどうかは評価が分かれるところですし、地域祭りやイベントに参加を強いる風潮なども私は肯定致しかねます。

 

地域によってはそういうイベントに参加しないだけで白い目で見られたり、除け者扱いにされることも多いです。

あくまで都会の喧騒を離れてのびのびしたいという方は地域コミュニティの強い場所で暮らすのはお勧めしません。

むしろ縛りのある生活を強要されるかもしれないからです。

 

そこも評価が大いに分かれるところですね。