YouTuber・シバターの独自視点

ーーシバターとは

 

シバターは2008年頃からYouTube活動を始め、主に雑談系や物申す系動画で人気を博してきたYouTuberの1人。

雑談といってもゆるっとふわっと系ではなく、尖った物申す系YouTuberというイメージのほうが強いだろう。

例えば、芸能人や有名なYouTuberがある女性との結婚を発表すると、「〇〇、結婚はやめとけ。」と注意喚起の動画をその都度アップする。

誰かが不祥事を起こすと「〇〇を救いたい。」という動画をアップする。

その一貫したスタンスがシバターのキャラなんだなと理解する視聴者が増え、今日の「物申す系YouTuber」という1つのジャンルを確立した。

俗っぽい言い方をすれば、こういった物申す系YouTuberは「逆張りYouTuber」とも呼ばれる。

 

一般的にこうするべきであろう世間の風潮に抗い、あえて逆の意見を発信することで注目を浴びるYouTuberの存在は、下手をすればそれに伴う正当な意見や理由がついてないと蜂の巣にされるのがオチだ。

最終的に逆張りオンリーになると「ただの天邪鬼YouTuber」「釣りYouTuber」として扱われ、正当なジャンルとしてみなされなくなる。

シバターはその中でも数少ない「物申す系YouTuber」というジャンルに活路を切り拓いた成功者と言えるだろう。

 

シバターの動画は見ればわかる通り、タイトルもシバター自身による言い方も全体的に「」を帯びている。

これまで普通の動画しか見てこなかった視聴者にとっては、どこか胸焼けする気分を覚えるかもしれない。

中には有名人を煽ったり強い口調でズバッと物申すために「遠慮がない」「少し度が過ぎてる」等のコメントが寄せられることも少なくはない。

 

でもシバターは折れずに(懲りずに?)、その手の動画を不特定多数のコンテンツ、ユーザーに送り出してきた。

これは清々しいまでに吹っ切れている。

多少炎上しても「シバターだから」という理由ですぐに収まる。

シバターだから」という抽象的な理由がえてして正当化されるのは、シバター自身による物申すときの言葉選びや、YouTuber・芸能人に対するシバターの率直な物言いなど、その素直な感性が逆に好評を呼んでいるからに思える。

あまりに偏りすぎた意見や自分主観の意見などはすべからく排除されるが、シバターの意見は第三者目線から見ても「おお、なるほどな」と、スッと納得できるような説得力がある。

いわゆる「核心をついた意見」とか、「シバターが正しく世間が間違ってる」といったシバター神話論に落ち着くつもりはない。

だが、YouTubeの「少数派を排し、多数派の意見が尊重される。」というSNS上の性質を鑑みると、シバターの逆張りに近い意見に対する批判をここまで抑制できているのはある意味天才ではないか。

 

ーー天才的な視点 ぐうの音も言えずのシバター式意見

 

例えば2022年8月にapexのゲーム実況でプレイヤーへの暴言行為を働いたことで炎上騒ぎとなったHIKAKIN氏に対し、コメント欄では「見損なった」「結局そういう人だったのね」などといった失望の声が殺到。

シバターはそんなHIKAKINの炎上騒動を「今に始まったことじゃないでしょ。」とぶった斬る。

シバターの動画の内容をまとめるとこうだ。

 

「HIKAKINは昔は有名人ではなく、そこら辺の一般人。

有名から失うものはあるけど、無名から失うものはない。

だって土俵が違うから。

HIKAKINが被災地にポンと莫大な寄付ができるのも

YouTuberとして高い稼ぎを得ている』から。

でも無名から1億円の寄付をできる人はほとんどいない。

むしろそれができる人こそ本当の善意だ。

わずかな貯金額が目減りする覚悟を捨て、

被災地に多くの寄付できる人が誠の『聖人君子』だと。

つまりHIKAKINが作り上げた『聖人君子』というキャラクターは、

無名から有名になる途上につれて出来上がったもの。

無名から聖人君子の人は滅多にいないのだと。」

 

動画の内容を大雑把にまとめるとこうだ。(私の言葉が大いに反映されてしまってるが、許してほしい。)

 

確かに私はHIKAKIN氏の「聖人君子」というキャラクター設定には無理があるように思った。

今までの莫大な資産を考えると1億円という額の寄付はそれでも素晴らしい行為であることは間違いない。

少なくとも「やらない善よりやる偽善」という言葉の武器は、多くの逆張りYouTuberが言う「好感度をあげたいから」に対する反論として使える。

しかしシバターにはこの言葉は使えない。

なぜって、シバターの言ってることはそこそこ的を得ているからだ。

 

シバターは妻帯者であり、子持ちという立場上、「子供を利用して収入を稼ぐYouTuber」の存在にもメスを入れている。

収入の柱として子供を利用せざるを得ない状況に焦りを感じているのか、不本意でもYouTubeの動画に顔を出される子供たちはあまりにも不憫だ。

YouTubeに限らず、SNSをはじめとするコンテンツは過去の動画が拡散されると消えない一生の晒しもの、デジタルタトゥーとして残ってしまう恐ろしい拡散力を有している。

 

そういう意味で子供を利用する親YouTuberに問題提起を投げかけ、鋭い視点から物申していくシバターのようなYouTuberは、ある意味必要な存在だ。

単なる逆張りとは一線を画したシバターことシバ子ちゃん。

これからもズバズバと旺盛なスタンスを維持しながら物申してほしいものだ。