血縁選択

ーー血縁選択の意義とは

 

血縁選択とは、個が残す優秀な遺伝子より、それがのちに集団で共有されるであろう遺伝子が自分の形質(または生存率)に有利に働くか不利に働くかを判断するという、生物進化上においての基本的な概念です。

皆さんも意味は聞いたことあるけどハッとするような明確な意味や行動原理については詳しく知らないかと思います。

僕もそのうちの1人で、血縁選択を「自分にとって有利な血縁を選択すること」と曖昧に解釈し、のちに詳しい意味を知ったことで定義を改めました。

 

例えば、我々人間は手足が2本ずつあり、言語も話せ、他の動物と違って泣いたり笑ったり等、より繊細な感情を持つ生き物です。

そして男女同士、恋愛を通して、惹かれ、焦がれ合い、関係を深めていきます。

そうするうちに性的に魅力を感じる相手と交尾し、子孫を儲ける。

性的に魅力…といえば誤解を招きやすいですが、要は自分にとって望ましい遺伝子を残せるかどうか、その存在を我々は無意識的に嗅ぎ分けているのです。

 

その判断基準として「外見的な要素(いわゆるイケメン美女であるかどうか)」や、優しさや包容力などの「内面的な要素」を含むこともあり、ひとえに遺伝子を残す上での判断基準は動物と違い1つに限らないのです。

 

動物の場合、やはりメスは体を張り自分を守ってくれるたくましいオスと交尾し、長く繁殖しようとしますよね。

これは厳しい動物社会(生存社会)において必須とも言える了解事項であり、もはやメスの動物にとっては弱々しいオスなど存在価値はなきに等しいのです。

ーー自分の遺伝子がやはり重要か

 

血縁選択は自分にとって優秀な遺伝子を残そうとする動物が利己的にその行動を駆り立てる…みたいに説明されますが、必ずしもそうは問屋が卸さないのがこの血縁選択をめぐる厄介な問題です。

それゆえ、多くの生物学者が血縁選択についての研究と実証を重ね、その統計的精度を高めていきましたが、やはり依然として万人が納得できるような共通の答えを導き出せていないというのが現状なのです。

 

血縁選択のテーマが浮上したルーツを辿ると、その本質が少し見えてきます。

 

前述した通り多くの動物は厳しい環境下で生存率を高めるため、メスは強いオスを選び、オスはより子供を産んでくれるメスを選ぶ。

これは厳しい生存社会の中では必要とされる本能的な行動です。

しかし何事も例外はあります。

 

確かに優秀な遺伝子を残し、より生存率を高めようとするのはどの動物にとっても必要なこと。

ただ前述した通り、血縁選択は個が残す遺伝子よりも集団が残す遺伝子をより重視する生物学上の概念です。

 

個体(自分)が残す遺伝子がそのまま連鎖せず、途中で断ち切られたら本末転倒です。

形質的な問題(羽がなかったり嘴が短かったり等)はさておき、自分が残す遺伝子の共有者(近親者)にもその遺伝子を色濃く受け継がれるよう、自分の血縁度(適応度)を少しでも高めようと努力をします。

 

形質的な問題…と言いましたが、実はこれは大した問題ではないと僕は考えているんです。

なぜなら、羽がなかったり嘴が短かったりなどの形質的欠陥は、遺伝子の生存率に直接結びつくほど重要な要素ではないと思っているからです。

しかしこれが例えば気管支が弱っていたり受精ができなかったり等、遺伝子的に破綻をきたすレベルに身体的な欠陥を抱えていれば話は別です。

それこそ遺伝子が断ち切られ、絶滅の憂き目にあってしまうでしょう。

 

ーーでは血縁選択という概念はなぜ生まれたのか?

 

血縁選択は個体が残す遺伝子の総和より、それを共有する遺伝子の総和によりフォーカスを当てた概念です。

なぜこの言葉が生まれたのか。

それは従来まで定説だと思われていた「子孫を残してより多くの遺伝子を作ろう」という動物の本能的な行動が、ある動物の存在により疑問視されるようになったからです。

 

これまでは動物は自分の遺伝子を残す(=自分ファースト)ために、優秀な動物の遺伝子を嗅ぎ分け、交尾をへて繁殖していきました。

これを生物学では「(動物の)利己的行動」と呼ぶそうですが、こういった本能に従い、多くの動物は生存競争率を高めていきました。

 

しかしここでその定説を覆す動物の存在が浮き彫りになるんです。

 

それが「ミツバチ」の存在。

ミツバチは女王蜂が巨大な巣の中でたくさんの子供を産み付け、その女王蜂に他の蜂が奉仕する形で自身もその恩恵に預かっているのです。

まさに相互扶助、といったwin-winの関係性ですが、女王蜂に奉仕する蜂はなぜ自分で子供を産まず、女王蜂に奉仕するのか?という課題が浮き彫りとなり、遺伝子優秀説の正当性が疑われ始めるようになったのです。

 

そこで挙がったのが「血縁度」という、自分とより近い遺伝子情報を有する存在の度合いを数値で表したもの、それが注目されるようになりました。

血縁度は適応度とも言われ、自分に近い遺伝子情報を持つ存在とより密接につながり、自分の遺伝子を子孫にまで色濃く反映させようという、ある種のエゴイズムを内包した本能的概念です。

つまり本質は「利己的行動」と何ら変わりません。

 

血縁度は明確に測るのは難しいですが、一般的に自分>兄弟姉妹>子供>他人…といったように順位づけされ、最も自分に近い存在が兄弟姉妹なのです。

するとやはり血縁度が高い遺伝子は、より自分の遺伝子を多く残しやすい。

それは子供を育てるより兄弟姉妹を育てたほうが自分の血縁度をより高めることができるのではないか、という発想につながり、あえて自分と血縁度の高い順に育てる。

それがミツバチの行動にもつながっている、と結論づけられました。

 

まあ、これは絶対的な答えなどは未だないので、僕自身も不可解な点はありますし、逆にああなるほど!と思うような点もあります。

しかし私はこの説には少し懐疑的で、もしミツバチが自分と血縁度の高い兄弟姉妹を育てるために遺伝子を残そうとしているのなら、血縁選択の「より多くの遺伝子を残し、環境に適応させる(=絶滅を防ぐ)」という基本的な概念に反してしまうのではないか、と考えてしまうんですよね。

 

ただここは不明な点が多いので、万人向けの回答を導き出すのは極めて困難であると思います。

 

永遠の課題、いまだその生物間における遺伝子のやり取りは謎に包まれています。