ーーアヘン戦争から学んだ日本の教訓
アヘン戦争は1840年にイギリスと清(中国)の間で起きた大規模な戦争です。
戦争の発端は、当時国交貿易を繋いでいた清へのアヘン供給が止まってしまったことにあります。
清とイギリスは貿易国であり、インドはアヘンを、清は銀をイギリスに輸出していました。
それで長らく経済関係を維持してきたのです。
ちなみに日本はその頃、江戸時代末期。
ペリー来航が迫る14年前の出来事でした。
江戸幕府が政権を握り、藩や有力大名などを参勤交代やその他諸制度等によりまとめ上げていました。
しかしその長く安泰の江戸時代において暗雲が立ち込めたのはまさにアヘン戦争の時期。
当時の国際情勢は不安定でしたが、日本にとって外敵が攻め込むような一触即発の事態は歴史上においても稀なケースであったため、長らく鎖国を維持してきました。
今までにおいてもフビライハンによる日本への侵略や飛鳥時代・白村江の戦いなど、日本にとって強大な外敵が攻め込むようなケースはありました。
しかしいずれも大ごとには至らなかったのです。
多くが宗教的紛争や平氏源氏などに代表される武家勢力をめぐる戦いなど、内戦がそのウエイトを占めていました。
しかしそんな悠長な内戦論が支配的になりつつある中、それを覆すようなアヘン戦争の出来事に当時の日本国民は恐怖したのです。
なぜ恐怖なのかといえば、清という国は日本にとっては模範的な国家であり、同時に世界強国でもあったわけです。
日本は江戸時代末期まで清の文化や思想を取り入れていたし、清を上回る大国は存在しないだろうとまで思っていたほどですからね。
それが今回のアヘン戦争により、清の強大国論は一気に崩れ去った…
当然、日本は焦るわけです。
清の次は日本ではないか?と。
まして植民地支配を広げていたイギリスは、次々と列強諸国をくだしてその勢力を拡大していました。
日本もその諸国の例に漏れず。
いつなんどきイギリスやアメリカなどの欧米列強国が攻め込んでくるか、日本にとってはヒヤヒヤものでした。
ーー日本国民の鋭い視点が、現在の日本を完成させた
アヘン戦争から学んだ日本の教訓は、自分たちが神格化していた強大国・清があっさり敗れ去ったという日本での軍備増強の必要性の高まりを裏付けたのと、東洋の文化や知識を吸収しても日本は成長できないという開国への意欲を高めるきっかけを作り出したこと、
この2つが主に大きいでしょう。
実際、そのあとにペリー率いる黒船が来航しますが、ここで開国派と鎖国派に勢力が二分化したのは日本にとって大きな進歩といえます。
鎖国派が半数以上を占めていなかったのは、アヘン戦争による出来事があってこそでしょう。
日本国民が開国を必要とする運動が活発化したのはアヘン戦争による功績?が大きいのです。
そして近代…戦後…現代へとなるにつれ、日本は経済的・インフラ的にも目覚ましい発展を遂げました。
日本の戦後復興からの経済成長スピードは脅威的ですが、それも当時の政府が開国を頭ごなしに否定せず、黒船のペリーと争いを起こさずに和を講じた″先見の明″あってこそですね。
当時の日本国民の優れた先見性が現在の日本を形作っているのかと思うとなんだか感慨深いですよね。