人命や尊厳の意義について

ーー人命無視の政権

 

ロシアが歴史的なウクライナ侵略戦争を始めてから約2年が経過します。

戦前さながらの侵略戦争に当時の人々は戦慄し、ロシアの国営メディアおよび国内外の日本やアメリカ、韓国などの西側諸国にもその波及が及びました。

ウクライナはロシアにとって隣国にあたる場所。

ウクライナNATOへの加盟をきっかけにロシア大統領のプーチンを軍事的な強硬手段に駆り立て、何百万にも及ぶ軍勢を投入、空爆や対人地雷など民間人の犠牲も意に介さない前代未聞の植民地化を行い、現在でも戦いは収束する気配を見せません。

 

人命や尊厳といった、この地球に生を受けた人にとって基本的な人権の核となるものが、いとも簡単に踏み躙られている。

それは国際社会からプーチンへの強い糾弾とともに、命の尊さ重さを今一度認識させる必要があります。

 

ロシアがウクライナ侵攻を始めたきっかけは、NATOという自分たちにとって脅威となる対ロシア組織への加盟をウクライナがすんなり受け入れたこと、隣国に値するウクライナはロシアにとっての支配下である、という帝国主義的な刷り込みを行いたかったこと、その2つの要素が主に重なって、今回の武力行使に踏み切ったのでしょう。

つまりこういう見方が一般的には多くを占めているんですね。

ウクライナNATOへの加盟を拒否すればロシアが怒ることはなかった。」と。

 

しかしそれでは根本的な解決にはつながりませんし、ロシアは一応日本と同じ民主主義国家という体裁をとっていますが、ほとんどは大統領の一強独裁、国民の根本的な発言権や拒否権などはほぼ形骸化しているといっても過言ではありません。

日本と違い、民主主義という表向きの体裁を装いつつ、ほぼ独裁体制に移行しつつある状況だったのです。

それに対抗する形で結成されたのが「NATO」という国際組織。

 

つまりNATO結成はロシアの腐敗政治が招いたものなんですね。

 

NATO結成の経緯から見えてくるロシアの闇

 

言論を封じ込め、独裁者による権限でほぼ政策決定や実務的な政治能力を発揮する、それが今日に至るまでのロシアだったのです。

ウクライナはそれに反発する形でNATOへの加盟を批准し、反ロシア思想を掲げ、対話による穏健な解決法をとろうと…

そう強い平和意識に基づいてNATOへの加盟という形でロシアに対する異議申し立てを行ったんですね。

 

それが今回、ウクライナ戦争によって裏目に出てしまった…

何を間違えたか、とかそういう問題ではありません。

ウクライナ戦争は単なる内戦という枠に終わらず、全世界の経済や生活にまで影響を及ぼしているのです。

NATOへの非加盟行為をすれば、いつまで経ってもロシアの腐敗政治による独断的な決定や指導者による専横行為が止まることはない。

平和解決というには少し強引な手段にはなりますが、NATOへの加盟という形でロシアと穏便に解決を図りたかった、という思いがあったのでしょう。

 

どうすればよかったのか。

私の場合、西側諸国(日本やアメリカ、韓国等)が戦後のロシア(ソ連崩壊後)に対する十分な経済的支援を怠ったことが、ロシア独裁化に一層拍車をかけてしまったのではないかと考えているんです。

難しい問題ですが、やはり支援が後手後手に回る対応でしたから、ロシア国内の治安や情勢が乱れるのも無理はありません。

 

今後は西側諸国もロシアの経済振興や福祉的支援に積極的な意欲を見せ、ロシアが抱える諸問題に国際的な介入を挟むことも必要になるでしょう。

 

私はその姿勢を全面的に支持いたします。

京都出身 美肌キープの秘訣とは

ーー京美人とは?

 

日航プリンセス京都、京都ブライトンホテル…。

京都にある多くのホテルが全館での地下水の使用を許可し、一般人にも地下水コーナーを解放しています。

地下水は汚れや不純物、毒素などの有害成分が存在せず、クリアな軟水です。

軟水は肌のキメを整えるばかりか、その人の健康状態を整えたり、ストレスや悩みといった心理的問題も解決してくれます。

心のもやや蟠り等、ネガティブな感情が綺麗さっぱり洗い流されるからです。

そこでよく名が上がるのが「京美人」という言葉。

 

京美人とは博多美人、福岡美人といった要領で使われる言葉であり、京都出身の美しい女性…という意味。

そのままの意味ですが、現に京都出身の女性に目を向けると、肌のニキビや毛穴といった肌にまつわるトラブルに悩まされている人を見かけることがありません。

それは盆地が多いという土地的な条件や、コラーゲンタンパク質が豊富な食生活が主流であること、何より京都府民の「風邪をひかないようにしなきゃ」という強い健康志向が根付いているからでしょう。

地下水は盆地の多い土地に湧出し、その土地の人の肌に潤いや艶やかさを与えます。

それが「美肌」の秘訣であり、いつまでも健康な肌をキープできるという京都の恵まれた風土(盆地が多い・健康的な食材が多い・地下水が豊富等)を物語っていると言えますね。

 

ーー世代によって肌質は違う!?

 

少し偏見かもしれませんが、僕が知る限りの東京出身の方、例えばインフルエンサーに目を向けても大半は肌が荒れています。

肌荒れは外見的な要素を損なうばかりでなく、相手に対しても不快感を与えてしまう。

そうした流れもあり、最近では若手でも永久脱毛やニキビとりくま取りなどのレーザー治療を受ける人が多くなっており、若者の美意識が高まっています。

これは良い傾向だと思っています。

整形をよしとしない日本の風潮は未だ根強いですが、肌に関するトラブルは体質的な問題であって、個人の力ではどうしても限界があるのです。

 

最近の若手YouTuber、男性のほうを見ると多少は肌荒れが目立つものの、基本的に美肌の大敵であるクレーターや凹凸といった肌トラブルはないため、若手でも肌のケアは十分に行き届いているんだなあと感じました。

しかし30、40代くらいのYouTuberに目を向けると、どうしても肌荒れが目立つ人が増えてきてしまいます。

若手より美意識に疎い層が30、40代に集中しているイメージですので、肌のケアはめんどくさいのか放置している人が大半です。

 

その原因の多くは食生活の乱れにあると私は思っています。

基本的に最近の若手は昔と比べ、肥満率がグンと減ったように感じます。

バブルが弾けた時代、高度経済成長期の渦中において贅沢な食生活を堪能し、宮廷暮らしを満喫してきた今のアラフォーアラフィフ世代は、どうしてもその時の濃い味を恋しがります。

その幼少期の贅沢が災いした結果、今でもジャンクフードやコンビニ弁当など、基本的に栄養価の低い食事をとる傾向があります。

さらにいうとその時代は肌荒れに関するメイク用品や化粧品が普及していなかったためセルフ(自分)で肌を整えなきゃいけない時代でした。

そのためセルフケアでは肌の細かなアラや欠点を隠すには少し限界があったのです。

 

私は現在、母親に勧められて入浴後に必ず乳液(保湿剤)を肌に浸透させるようにしていますが、その日々の努力が「肌がどんどん綺麗になってく」という実感の表れとして出てくると「よーし!あともう一歩だ!」とモチベ向上になりますが、セルフケアでは「何度やっても変わらない…。」という変わり映えのない自分のお肌に心底幻滅してしまうため、セルフケアの限界を感じ、途中でケアをやめてしまう。

そんな人が多いと感じます。

 

そういう意味でコスメ用品の普及は若者による美意識の高まりを決定づけた。

これは大きな成果ですよね。

私が使っている乳液はここ最近はずっと愛用していますが、しっとりすべすべもっちりのお肌キープに欠かせない生活必需品となっているため、もはや入浴後に乳液をつけないと気持ち悪い。までなってるんですよね。

(寝る前に必ず歯磨きをする…くらいの感覚。)

 

みなさんも自分のお肌には十分気を遣い、冬の季節、特に湿度調整には最大限の注意を払ってくださいね。

アヘン戦争

ーーアヘン戦争から学んだ日本の教訓

 

アヘン戦争1840年にイギリスと清(中国)の間で起きた大規模な戦争です。

戦争の発端は、当時国交貿易を繋いでいた清へのアヘン供給が止まってしまったことにあります。

清とイギリスは貿易国であり、インドはアヘンを、清は銀をイギリスに輸出していました。

それで長らく経済関係を維持してきたのです。

 

ちなみに日本はその頃、江戸時代末期。

ペリー来航が迫る14年前の出来事でした。

江戸幕府が政権を握り、藩や有力大名などを参勤交代やその他諸制度等によりまとめ上げていました。

しかしその長く安泰の江戸時代において暗雲が立ち込めたのはまさにアヘン戦争の時期。

 

当時の国際情勢は不安定でしたが、日本にとって外敵が攻め込むような一触即発の事態は歴史上においても稀なケースであったため、長らく鎖国を維持してきました。

今までにおいてもフビライハンによる日本への侵略や飛鳥時代白村江の戦いなど、日本にとって強大な外敵が攻め込むようなケースはありました。

しかしいずれも大ごとには至らなかったのです。

 

多くが宗教的紛争や平氏源氏などに代表される武家勢力をめぐる戦いなど、内戦がそのウエイトを占めていました。

 

しかしそんな悠長な内戦論が支配的になりつつある中、それを覆すようなアヘン戦争の出来事に当時の日本国民は恐怖したのです。

 

なぜ恐怖なのかといえば、清という国は日本にとっては模範的な国家であり、同時に世界強国でもあったわけです。

日本は江戸時代末期まで清の文化や思想を取り入れていたし、清を上回る大国は存在しないだろうとまで思っていたほどですからね。

 

それが今回のアヘン戦争により、清の強大国論は一気に崩れ去った…

当然、日本は焦るわけです。

清の次は日本ではないか?と。

まして植民地支配を広げていたイギリスは、次々と列強諸国をくだしてその勢力を拡大していました。

日本もその諸国の例に漏れず。

いつなんどきイギリスやアメリカなどの欧米列強国が攻め込んでくるか、日本にとってはヒヤヒヤものでした。

 

ーー日本国民の鋭い視点が、現在の日本を完成させた

 

アヘン戦争から学んだ日本の教訓は、自分たちが神格化していた強大国・清があっさり敗れ去ったという日本での軍備増強の必要性の高まりを裏付けたのと、東洋の文化や知識を吸収しても日本は成長できないという開国への意欲を高めるきっかけを作り出したこと、

この2つが主に大きいでしょう。

 

実際、そのあとにペリー率いる黒船が来航しますが、ここで開国派と鎖国派に勢力が二分化したのは日本にとって大きな進歩といえます。

鎖国派が半数以上を占めていなかったのは、アヘン戦争による出来事があってこそでしょう。

日本国民が開国を必要とする運動が活発化したのはアヘン戦争による功績?が大きいのです。

 

そして近代…戦後…現代へとなるにつれ、日本は経済的・インフラ的にも目覚ましい発展を遂げました。

 

日本の戦後復興からの経済成長スピードは脅威的ですが、それも当時の政府が開国を頭ごなしに否定せず、黒船のペリーと争いを起こさずに和を講じた″先見の明″あってこそですね。

 

当時の日本国民の優れた先見性が現在の日本を形作っているのかと思うとなんだか感慨深いですよね。

YouTuberの本音

ーービジネスと趣味の融合

 

はじめしゃちょー。

現在YouTube登録者1000万を抱える日本トップのYouTuberとして、今も動画投稿を続けています。

そんなはじめさんが今日(3月1日)、「精神的に限界が来ました。」というタイトルの動画をUPし、視聴者からは心配の声が挙がっています。

私はこのタイトルからしてうつなどの精神疾患を疑いましたが、動画の内容を聞くとどうやらそうではないみたいです。

 

はじめさんは現在、4億円の豪邸に住んでおり、スタッフや同業者含め10人ほどがその家に頻繁に出入りしている、と話していました。

その10人は主にはじめさんの豪邸を仕事場として活用しており、主にはじめさんのYouTube動画の編集やプレゼン、対談等のマネジメント業務を10人体制で進めているという状況です。

 

そんなはじめさんが漏らした言葉は…

精神的に限界が来た」というもの。

一言でまとめれば、YouTubeへの動画投稿や企画考案といった仕事を仕事として割り切れないことに不満を感じているというもの。

 

つまり趣味から入ったYouTubeへの動画投稿や編集作業といった行為がいつのまにかビジネス化していることに長らく不満を抱いていたそうなのです。

 

スタッフや同業者10人が頻繁に出入りするはじめさんの家はさながら仕事場と化しています。

はじめさんは当然そこで寝起きしたり食事をしたり等、プライベートな生活を送っているため、ビジネス会場となりつつある自分の現在の豪邸事情に「YouTubeの仕事はあくまで好きでやりたい」とメスを入れました。

 

ーー大物YouTuber、今と昔の認識の相違に悩む

 

ここで少しYouTuberという職業の起源をたどってみたいと思います。

YouTuberという職業は出始めの頃、まだ正当な職としてみなされていませんでした。

一般人は今のように「YouTubeの動画に広告をポンポン貼り付けて収入を稼ぐ」行為が認められていませんでした。

YouTuberという職業自体が趣味の範疇にとどまっていたのです。

 

はじめさんがYouTuberとしてデビューしたのは2012年。

一応収益化は認められていたものの、普通の職業と同じような収入や待遇が約束されているとは言いがたく、この頃も趣味の範囲でやるもの…という認識が強かったのです。

 

本格的にYouTubeが軌道に乗り始めたのは2015年。

その頃になると本格的なビジネスYouTuberが頭角を現し、高収益を見込んであらゆるジャンルの動画をアップロードし続ける、さながら「YouTuber戦国時代」のような状況でした。

 

はじめさんもそんな渦中に飛び込み、YouTuberとしてもりもりと登録者を伸ばしていきました。

 

ただはじめさんは他のYouTuberとは時期が異なります。

2012年からYouTubeを始めた人の多くは、YouTuberを本業として多くの収益を出していこう、という金銭的野望とは無縁だったはず。

というのも、2012年頃のYouTube動画を見ても今のような企画系よりは、自分が好きな趣味や芸事をアピールするような動画が多かったからです。

はじめさんはまさに後者。

 

YouTuberの仕事を趣味の範囲としてとらえ、自分の好きなことを主にアップロードして、余計な編集やテロップ入れ作業などは初期の動画では一切見られません。

当然、その頃は4億円の豪邸などは所有していません。

ビジネスと趣味はしっかり切り離していました。

 

そんな趣味から入るYouTuberに陥りがちな精神的なスランプ…

スタッフや同業者10人が出入りする豪邸でゆっくり羽を伸ばすこともできなければ、仕事として続けるうちに「今日も動画投稿しなきゃ」という義務感も生まれてしまう。

まさにビジネスと趣味の融合です。

それは良いか悪いかは別として、はじめさんの場合はビジネスを趣味として割り切れない…というところに主眼を置いているのでしょう。

 

あれとおんなじですよね。

アニメーターとして自分の好きな絵コンテ作業をやりたい…という志望動機で入った企業があまりに休みが取れないブラック体質で、いつのまにか趣味が仕事として認識するようになってしまった…

 

ビジネスと趣味を融合して頑張っていこうタイプ』か、

ビジネスと趣味を分離して頑張っていこうタイプ』。

 

はじめさんの場合は後者だった、という事ですね。

血縁選択

ーー血縁選択の意義とは

 

血縁選択とは、個が残す優秀な遺伝子より、それがのちに集団で共有されるであろう遺伝子が自分の形質(または生存率)に有利に働くか不利に働くかを判断するという、生物進化上においての基本的な概念です。

皆さんも意味は聞いたことあるけどハッとするような明確な意味や行動原理については詳しく知らないかと思います。

僕もそのうちの1人で、血縁選択を「自分にとって有利な血縁を選択すること」と曖昧に解釈し、のちに詳しい意味を知ったことで定義を改めました。

 

例えば、我々人間は手足が2本ずつあり、言語も話せ、他の動物と違って泣いたり笑ったり等、より繊細な感情を持つ生き物です。

そして男女同士、恋愛を通して、惹かれ、焦がれ合い、関係を深めていきます。

そうするうちに性的に魅力を感じる相手と交尾し、子孫を儲ける。

性的に魅力…といえば誤解を招きやすいですが、要は自分にとって望ましい遺伝子を残せるかどうか、その存在を我々は無意識的に嗅ぎ分けているのです。

 

その判断基準として「外見的な要素(いわゆるイケメン美女であるかどうか)」や、優しさや包容力などの「内面的な要素」を含むこともあり、ひとえに遺伝子を残す上での判断基準は動物と違い1つに限らないのです。

 

動物の場合、やはりメスは体を張り自分を守ってくれるたくましいオスと交尾し、長く繁殖しようとしますよね。

これは厳しい動物社会(生存社会)において必須とも言える了解事項であり、もはやメスの動物にとっては弱々しいオスなど存在価値はなきに等しいのです。

ーー自分の遺伝子がやはり重要か

 

血縁選択は自分にとって優秀な遺伝子を残そうとする動物が利己的にその行動を駆り立てる…みたいに説明されますが、必ずしもそうは問屋が卸さないのがこの血縁選択をめぐる厄介な問題です。

それゆえ、多くの生物学者が血縁選択についての研究と実証を重ね、その統計的精度を高めていきましたが、やはり依然として万人が納得できるような共通の答えを導き出せていないというのが現状なのです。

 

血縁選択のテーマが浮上したルーツを辿ると、その本質が少し見えてきます。

 

前述した通り多くの動物は厳しい環境下で生存率を高めるため、メスは強いオスを選び、オスはより子供を産んでくれるメスを選ぶ。

これは厳しい生存社会の中では必要とされる本能的な行動です。

しかし何事も例外はあります。

 

確かに優秀な遺伝子を残し、より生存率を高めようとするのはどの動物にとっても必要なこと。

ただ前述した通り、血縁選択は個が残す遺伝子よりも集団が残す遺伝子をより重視する生物学上の概念です。

 

個体(自分)が残す遺伝子がそのまま連鎖せず、途中で断ち切られたら本末転倒です。

形質的な問題(羽がなかったり嘴が短かったり等)はさておき、自分が残す遺伝子の共有者(近親者)にもその遺伝子を色濃く受け継がれるよう、自分の血縁度(適応度)を少しでも高めようと努力をします。

 

形質的な問題…と言いましたが、実はこれは大した問題ではないと僕は考えているんです。

なぜなら、羽がなかったり嘴が短かったりなどの形質的欠陥は、遺伝子の生存率に直接結びつくほど重要な要素ではないと思っているからです。

しかしこれが例えば気管支が弱っていたり受精ができなかったり等、遺伝子的に破綻をきたすレベルに身体的な欠陥を抱えていれば話は別です。

それこそ遺伝子が断ち切られ、絶滅の憂き目にあってしまうでしょう。

 

ーーでは血縁選択という概念はなぜ生まれたのか?

 

血縁選択は個体が残す遺伝子の総和より、それを共有する遺伝子の総和によりフォーカスを当てた概念です。

なぜこの言葉が生まれたのか。

それは従来まで定説だと思われていた「子孫を残してより多くの遺伝子を作ろう」という動物の本能的な行動が、ある動物の存在により疑問視されるようになったからです。

 

これまでは動物は自分の遺伝子を残す(=自分ファースト)ために、優秀な動物の遺伝子を嗅ぎ分け、交尾をへて繁殖していきました。

これを生物学では「(動物の)利己的行動」と呼ぶそうですが、こういった本能に従い、多くの動物は生存競争率を高めていきました。

 

しかしここでその定説を覆す動物の存在が浮き彫りになるんです。

 

それが「ミツバチ」の存在。

ミツバチは女王蜂が巨大な巣の中でたくさんの子供を産み付け、その女王蜂に他の蜂が奉仕する形で自身もその恩恵に預かっているのです。

まさに相互扶助、といったwin-winの関係性ですが、女王蜂に奉仕する蜂はなぜ自分で子供を産まず、女王蜂に奉仕するのか?という課題が浮き彫りとなり、遺伝子優秀説の正当性が疑われ始めるようになったのです。

 

そこで挙がったのが「血縁度」という、自分とより近い遺伝子情報を有する存在の度合いを数値で表したもの、それが注目されるようになりました。

血縁度は適応度とも言われ、自分に近い遺伝子情報を持つ存在とより密接につながり、自分の遺伝子を子孫にまで色濃く反映させようという、ある種のエゴイズムを内包した本能的概念です。

つまり本質は「利己的行動」と何ら変わりません。

 

血縁度は明確に測るのは難しいですが、一般的に自分>兄弟姉妹>子供>他人…といったように順位づけされ、最も自分に近い存在が兄弟姉妹なのです。

するとやはり血縁度が高い遺伝子は、より自分の遺伝子を多く残しやすい。

それは子供を育てるより兄弟姉妹を育てたほうが自分の血縁度をより高めることができるのではないか、という発想につながり、あえて自分と血縁度の高い順に育てる。

それがミツバチの行動にもつながっている、と結論づけられました。

 

まあ、これは絶対的な答えなどは未だないので、僕自身も不可解な点はありますし、逆にああなるほど!と思うような点もあります。

しかし私はこの説には少し懐疑的で、もしミツバチが自分と血縁度の高い兄弟姉妹を育てるために遺伝子を残そうとしているのなら、血縁選択の「より多くの遺伝子を残し、環境に適応させる(=絶滅を防ぐ)」という基本的な概念に反してしまうのではないか、と考えてしまうんですよね。

 

ただここは不明な点が多いので、万人向けの回答を導き出すのは極めて困難であると思います。

 

永遠の課題、いまだその生物間における遺伝子のやり取りは謎に包まれています。

長岡京(ながおかきょう)

ーー歴史的な移転に一体何があったのか?

 

50代天皇桓武天皇が治める平城京は、仏教の色が強い都であり、さらに山や丘陵に囲まれた立地の悪さもあり、桓武天皇平城京から長岡京に拠点を移し、遷都を決意します。

ちなみに桓武天皇平城京を去った理由は、桓武天皇の母親が代々百済の血筋を引く家系だったこともあり、仏教色が強い平城京では反発を招きやすい・・というもの。

前回記事に挙げた氷上川継による謀反計画もそのような理由から来ています。

さらに長岡京には自身の優秀な側近である藤原種継(ふじわらのたねつぐ)がおり、助言を得るには都合の良い場所だったのです。

また、川が多くあったこともあり、水運の要衝として栄えました。

そんな中で移築を開始し、長岡京の普請(ふしん・建築工事)に着手しますが、思わぬトラブルがここで相次ぐことになります。

桓武天皇はそれを予期していなかったため、新天地・長岡京での暮らしに期待していました。

 

ーー優秀な側近・種継の暗殺

 

まず桓武天皇に臣従していた優秀な部下、藤原種継が矢を射られ、暗殺されてしまいます。

桓武天皇は謀反に関わった犯人の洗い出しを行い、関係者全員を捕縛しました。

ことは順調にいくかと思いきや、ここで予想外の事実が浮き彫りになりました。

それは桓武天皇の弟である早良親王(さわらしんのう)までが、種継の殺害に関与していたと嫌疑をかけられ、幽閉されてしまうのです。

早良親王は断食による無罪を主張しましたが、結局罪は晴れずに流罪となり、配流先の淡路に到着する前に衰弱死。

 

これで一件落着だと思っていた桓武天皇ですが、ここから悲劇の連続が相次ぎます。

まず桓武天皇の身内や知己、縁者が次々と謎の死を遂げ、多くが病に伏せ、都は一大事となります。

それでも長岡京の建設をやめない桓武天皇でしたが、そこで追い討ちをかけるかのように氾濫による大規模な水害が起こり、長岡京での建設を中止せざるを得なくなりました。

10年ピッチで進めていた長岡京での建設は中止を余儀なくされ、再び平城京に拠点を移すことになるという、前代未聞の歴史的出来事になったのです。

 

当時の日本では言霊や豊年祭など、自然現象やオカルトにまつわる伝承が多く語られていたので「呪詛」という行為も固く禁じられていました。

これは当時の日本がどれだけ霊現象による祟りや怨霊などのオカルト話を信じ切っていたかを如実に表す良い例と言えるでしょう。

 

それを認識しているためか、途中で進めていた長岡京の建設を取りやめ、平城京に拠点を戻した桓武天皇

10年足らずで取り壊し(解体)になった長岡京の事実にちなんで、多くは長岡京のことを「幻の都」と呼ぶみたいですね。

実際、復元された長岡京を見ると、相当な力の入れようだったことがわかり、完成の名残をいまだにとどめています。

あとちょっとで完成・・というところで思わぬ悲劇やトラブルが相次ぎ、平城京に戻らざるを得ないという苦渋の決断を下した当時の桓武天皇の無念は、察するに余りありますね。

氷上川継(ひがみのかわつぐ)

ーー謀反首謀者の1人・氷上川継

 

氷上川継天武天皇の血族の流れを汲む由緒正しき家系で生まれました。

父親は「塩焼王」であり、仲麻呂征討の際、すでに戦死しています。

母親は不破内親王

妻は藤原法壱(ふじわらのほうい)。

そのような家系を持つ氷上は、称徳天皇の次期天皇候補として期待されていました。

しかし途中、光仁天皇称徳天皇の後を継いで即位したために、氷上含む多くの人物から反発を招きました。

その理由ははっきりとはしていませんが、光仁天皇の皇子・山部親王(後の桓武天皇)のその直系ルーツが天皇の座に相応しくなかったから、だと考えられています。

少し詳細を言うと、桓武天皇の母親・高野新笠(たかのにいがさ)が百済出身であり、天皇は日本で生まれた独自の文化。

ルーツに百済の血筋が混じっていることを理由に山部親王の次期天皇推薦が現実味を帯びてくると、ますます氷上の反発心を増長させ…

 

ついには朝廷を失脚させるため、謀反を画策しようとするんです。

 

氷上はちょうど前回登場した蝦夷の時代に活躍した歴史人物ですが、その血筋に反してあまり歴史的な知名度は高くありません。

それは氷上が実行するはずだった朝廷へのデモクラシー事件が、ある者の捕縛をきっかけに未遂に終わってしまうからです。

つまり、結局、朝廷への反抗は行われず、朝廷は謀反を計画した氷上含むその知己をまとめて処罰しました。

 

ちなみにこの事件が発覚した理由は当時氷上の資人(しじん)である大和乙人(やまとのおとひと)が武装した格好で朝廷の宮中に侵入し、捕縛されたのちに大和が事件の計画を洗いざらい朝廷に白状したことに端を発します。

つまり、このヘマさえなければ、朝廷の存続を揺るがしかねない、一大事の事件に発展していた可能性もありますね。

 

また、この氷上首謀の一連の行為は、現代でいう「未遂事件」とほぼ同義です。

朝廷の中核を担う人物が、朝廷そのものを打倒するため謀反を企てる。

これは国会に所属する1人の議員が国家転覆を図るためにテロ行為を働くのと同じくらいの重罪に値するものでした。

そのため当時の氷上には「死罪」が言い渡されましたが、その頃、光仁天皇の喪中だったこともあり、減免されて「流罪」が代わりに言い渡されました。

 

氷上含む多くの直系家族が配流され、ほとんどの人物が帰京を許されなかったと言います。

さながら強制的な「都落ち」状態ですが、その他計画に関与した部下の多くも地位や官職が剥奪され、都を追われたと言われています。

 

ーー権力争いに潜む根本的な問題

 

このように氷上川継によるこの謀反未遂計画は、「自分が天皇に選ばれないことによる不満」から端を発したもので、これ以外にもそのような例には枚挙にいとまがなく、歴史的な権力争いには常に「誰かの不満」が伴っていたものです。

特に今回、天武天皇の血筋が絶たれ、百済とのルーツを持つ山部親王が次期天皇として目されていましたから、反発心が芽生えるのも無理はないと言えます。

 

歴史的な大戦に至らずとも、朝廷内部に謀反の首謀者がいた時点でその法制度や慣習はガバガバだったと思いますし、何より縁故主義ゆえに高貴な身分の歴史人物がもてはやされるという、「権力の盾に隠れて圧政を敷く」ような天皇の誕生を危惧していたのでしょう。

だからこそ多くの歴史人物は、自分が政権を握り、国を変えてやる!という強い志を持って、皆死に物狂いで政府に立ち向かっては塵となって消えていったのですからね。

誰が1番正解とかは分かりませんが、天皇の推薦をめぐる問題には、当時熾烈な権力争いがあったことを忘れてほしくないな、と思います。

 

また、皇族身分の人が臣下に降る、「臣籍降下」という法制度もあってか、歴史的に有名な皇族以上にその母数は比較にならないほど多いです。

現在でも臣籍降下を通じて皇族の身分を降りたルーツの家系はたくさんいると思いますし、あなたの先祖もひょっとしたらかつては皇族の身分だったかもしれませんね。

臣籍降下は増えすぎた皇族を減らすよう暫定的に設けた法律だったのですが、それがのちの「平氏」「源氏」勢力の二極化・・という形で顕著に現れ始めるのです。

 

学べば学ぶほど奥が深い歴史、自分の先祖のルーツを辿れば思いがけない発見があるかもしれませんよ。